声量豊かで透き通った声の岩崎宏美(いわさき・ひろみ)さん!その岩崎さんが2015年にバセドー病および橋本病で苦しんでいることが発表されました。今回は現在それらの病気がどうなっているのか、また現在の旦那はどんな人か、更に最初に結婚した旦那との間にできた二人の息子がどうしているか、探ってみたいと思います。

 

1.岩崎宏美さんの現況

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖母たちのララバイ」など情感を豊かに歌い上げて活躍されてきた歌手の岩崎宏美さんは、2015年4月フジテレビ系『ノンストップ』に出演し、2001年以来、甲状腺の病気に苦しんできたことを明かしました。

この項では岩崎さんのプロフィール、経歴を踏まえたうえで、甲状腺の病気がどういう状態なのか、明らかにして見たいと思います。

(1)プロフィール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①出生名 :岩崎宏美

②別 名 :益田博美

③生年月日:1958年11月12日

④出身地 :東京都江東区

⑤身長・体重:157cm・47kg

⑥出身校 :堀越学園高等学校

⑦レーベルビクター(1975年-2000年)、インペリアルレコード(2001年-)

⑧事務所 :芸映プロダクション(1975年-1984年)、スリー・ジー(1984年-)、(株)コンリアルアート(2010年-)

歌手の岩崎良美(いわさき・よしみ)さんは実妹です。

 

 

 

 

 

 

 

二人そろって美人で、歌唱力が優れていますね。

 

(2)経 歴

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1958年 東京・木場で製材用の機械を製作する会社の経営者の次女として生まれる。

1965年 成城学園初等学校入学と同時に歌のレッスンを受け始める。

1974年 中学3年の時に『スター誕生!』に応募し、2月に関東大会で代表に選出される。

同年 高校進学後の7月(放映は8月)『スター誕生!』決戦大会に出場し、小坂明子の「あなた」を歌い、最優秀賞に輝いた。

芸映、ビクターレコードと契約する。

1975年 4月25日「二重唱(デュエット)」でプロデビューした。

同期デビューの歌手としては、太田裕美、岡田奈々、片平なぎさなどがいる。

2作目の「ロマンス」は90万枚近い大ヒットとなり、第17回日本レコード大賞・新人賞など多数の新人賞を受賞した。

三枚目のシングル「センチメンタル」もオリコン1位を記録した。

これらの活躍により、第26回NHK紅白歌合戦に初出場する(歌唱曲は「ロマンス」。NHK 紅白歌合戦には以後1988年まで連続14回出場)。

 

 

 

 

 

 

 

 

1976年 3月「センチメンタル」が第48回選抜高校野球大会の入場行進曲に初めて選ばれた。

1977年 3月堀越高校を卒業した。同期生に森昌子、岡田奈々、池上季実子などがいる。

同年秋、少女から大人に変わりつつある女性の心境を情感豊かに歌い上げた「思秋期」がヒットし、第19回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。

1979年 7月ロックミュージカル『ハムレット』(中野サンプラザホール)にオフィーリア役で出演した。

1982年 前年9月開始の2時間ドラマ『火曜サスペンス劇場』(日本テレビ系)の主題歌「聖母たちのララバイ」を担当し、作品化する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この曲は発売後2週目でオリコンチャート週間売り上げ1位を記録、80万枚の大ヒットとなり、第13回日本歌謡大賞・グランプリを受賞した。

また同曲は1983年3月の第55回選抜高校野球大会の入場行進曲に採用された。

なお、『火曜サスペンス劇場』では、1981年9月から、1987年11月までの6年間「聖母たちのララバイ」「家路」「橋」「25時の愛の歌」「夜のてのひら」の5曲を主題歌として担当した。(その後も1992年10月から1年間「愛という名の勇気」を同番組の主題歌として担当した。)

1984年 芸能活動をめぐる意見の相違から、芸映を退社し、個人事務所スリー・ジーを設立した。

1985年 独立第1作のシングル「決心/夢狩人」がオリコン15位に入り、アルバム『戯夜曼』もリリースした。

1986年 ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』に次女ホーデル役で出演した。

同年10月21日、外務省が推進する日本文化交流「ジャパン・ウイーク」がエジプトで開催され、そのメインイベントで親善大使としてピラミッドとスフィンクスの前でコンサートを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1987年 ミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本初演でファンティーヌ演ずる。以後も2011年まで断続的に演じ続けている。

1988年 商社マンと結婚し、芸名も夫の姓に合わせて益田宏美に改名した。

1989年には長男、1992年には次男を出産した。

1989年には益田宏美名義で、クラシック音楽を基調とした楽曲を収録したアルバム『誕生』を発売し、小さい子供を持つ母親を中心にヒットした。

1995年 夫との間で協議離婚が成立した。

だが、子供の親権、養育権をめぐって、前夫との間で対立が生じた。

1996年 芸名を岩崎宏美に戻して歌手活動を本格的に再開した。

2001年 インペリアルレコードに移籍する。

同年声帯にポリ-プができて手術を受けた。

2007年 プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、セルフカバー・アルバム『PRAHA』を発表した。

2008年 5月に妹・岩崎良美とジョイントコンサートを行った。

 

 

 

 

 

 

 

2009年 4月29日俳優・今拓哉(こん・たくや)と結婚した。

2015年 テレビ番組『ノンストップ!』(フジテレビ、4月22日放送)で、2001年からバセドー病、橋本病を患っていることを明らかにした。

同年 デビュー40周年記念コンサートを開催する。

 

 

 

 

 

 

 

多くの女性歌手が途中で消えていく中で、40周年記念コンサートを開けるのは、それだけ歌唱力に優れ、多くのファンに愛されたからだと言えます。

(3)岩崎さんの病状は安定

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩崎さんは、2001年にどんどん痩せていくという体調の変化に気づくとともに、息切れしたり、手が震えるなど歌手活動にも影響が及び、医師の診察を受けた結果甲状腺の病気を患っていると診断されました。

2001年と言えば、岩崎さんに声帯ポリープができて手術を受けた年です。

声帯ポリープと甲状腺の病気とのつながりはよくわかりません。

この時の甲状腺の病気はバセドー病と思われます。

バセドー病は免疫異常の一つである自己免疫が原因で起こると考えられています。

人間の体には免疫機能が備わっていて、外部から入り込んだ病原菌や体内で発生したがん細胞などを攻撃・退治しています。

しかし、免疫機能は場合によっては、自分の体内の成分を敵と誤認して攻撃することがあります。

これが自己免疫で、典型的なものはリュウマチです。

バセドー病は、血液中に甲状腺刺激物質抗体と呼ばれる)が増加し、甲状腺の働きが活発になり過ぎて、過剰に甲状腺ホルモンが分泌されて発症すると考えられています。

甲状腺ホルモンが過剰に分泌されると、甲状腺がはれ(甲状腺腫)、脈が速くなり(頻脈)、眼球が突き出てくる(眼球突出)といった主要症状のほか、手指が震える、体重が減って痩せてくるといった症状も見られます。

 

 

 

 

 

 

 

岩崎さんの場合、眼球突出は見られなかったものの、バセドー病の症状がみられたことは確かです。

ただここで注意されることはその後岩崎さんが橋本病と診断されたことです。

橋本病も、バセドー病同様、甲状腺の病気ですが、橋本病は慢性甲状腺炎とも呼ばれ、バセドー病とは反対に甲状腺ホルモンの量が低下することによって起こる病気です。

甲状腺ホルモンの量が低下すると、気力がわかない、寒がりになる、便秘がちになる、言葉がもつれるなどの症状が出ると言われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

岩崎さんにもこうした症状が出て橋本病と診断されたのでしょう。

問題になるのは、バセドー病と橋本病は、甲状腺ホルモンの量では正反対なのに、どうしてバセドー病患者が橋本病患者になるのかということです。

たしかなことは専門外のことなので、私には言えませんが、バセドー病の治療に不十分な点があったのでしょう。

橋本病は完治しない難病と言われますが、岩崎さんは『ノンストップ!』で次のように語っています。

これが持病の一つかと思えば、そんなに無理しなくなりますし、自分の病気は自分と上手に付き合って、悪くならないようにしたい。

橋本病にはホルモン療法薬物療法もありますので、それらを用いれば日常生活に困ることはないようです。

通院などの不便が生じますが、岩崎さんは現在マイペースで仕事をされているようですので、病気が悪化しないよう気を付けて

活躍を続けてもらいたいと思います。

2.岩崎さんの現在の旦那は今拓哉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上でも記しましたが、岩崎宏美さんは、2009年4月29日俳優の今拓哉さんと結婚・入籍しました。

岩崎さんと今さんは、連名で入籍の翌日、所属レコード会社を通じて7年半にわたる同棲生活を経て入籍したことをマスコミに発表しました。

芸能関係に詳しい人でなければ、今拓哉さんについてはよくわからないと思いますので、次に簡単なプロフィールを掲げます。

(1)今拓哉プロフィール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①生年月日:1968年11月12日

②出身地 :千葉県

③身長・体重:180㎝・69kg

④学 歴 :東京理科大学中退

⑤所 属 :ロックリバー

 

1988年今拓哉さんは、東京理科大学在学中にオーディションに合格し、『劇団四季』研究所に入所しました。

『劇団四季』では、『ハムレット』、『キャッツ』、『日曜はダメよ』、ミュージカル『李香蘭』などに出演しました。

1997年『劇団四季』を退団。

以後演劇では、『レ・ミゼラブル』、『そして誰もいなくなった』、『風を結んで』、『十二夜』、『AKURO〈悪路〉』、『ブルックリン・ボーイ』、『雪やこんこん』、『貴婦人の訪問』、ミュージカル『三銃士』など多数の作品に出演しています。

特に『レ・ミゼラブル』では、脇役のモンパルナス、アンジョルラス役を経て、主役のジャベール役へと昇格しています。

 

 

 

 

 

 

テレビでは、『晴れ着、ここ一番』(NHK、2003年)、『篤姫』(NHK、2008年)、映画でも『刺青』に出演しています。

2015年4月29日には3作目のミニアルバム『NORI NORI WORLD』を発表しています。

以上から今拓哉さんが幅広く活動していることがわかります。

(2)出会い・馴れ初め

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩崎さんと今さんとの出会いは、『レ・ミゼラブル』に共演したことにあります。

岩崎さんは、『レ・ミゼラブル』には、1987年・1988年・1997年-2000年と出演し、役は一貫して女性の中心人物ファンテーヌ役でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今さんは1997年まで『劇団四季』に所属していたので、1980年代の『レ・ミゼラブル』にはかかわっていなかったように思えます。

二人が共演するようになったのは、1998年以降ということになります。

しかし、二人は3年間私的な会話はしなかったと言われます。

とはいえ、岩崎さんのほうが10歳年長ですが、着実に力を伸ばし、重要な役柄を獲得していく今さんに目を見張ったことでしょう。

それに岩崎さんには実家の両親の問題で悩みがあり、その相談相手になってくれたのが、今さんだったようです。

2001年に共演者ではなく、恋人として交際を始め、ほどなく同棲するようになりました。

同棲と言っても岩崎さんは実家から完全に抜け出すことはできなかったので半同棲ぐらいだったと思われます。

二人は同じ「11月12日」生まれで、2008年の誕生日にちょうど50歳と40歳という節目の年齢を迎え、結婚を決意したそうです。

2009年4月の結婚発表の中で、岩崎さんは次のような決意を述べています。

これからの人生を支えあうパートナーとして、社会的にもけじめをつけ、さらにしっかりと根を広げ成長していく関係を作っていこうと考えました。

また二人とも、役者・歌手という表現者ですので、お互いの感性を刺激しあい、健やかな心身をサポートする礎となり、ニュートラルな自分を取り戻せるような安らぎのある家庭を築いていきたいと思っています。

岩崎さんは、10歳年上の姉さん女房ということになりますが、向かう方向が同じなら、年の差などどうでもよいですね。

(3)強まる固い絆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩崎宏美さんには、前の旦那との間の子供との交通権をめぐる問題のほかに、実家の両親の問題がありました。

父親は、1978年以来「有限会社スリー・ジー」(当時)を立ち上げ、岩崎さんのマネジメントを担当しました。

1985年父は、先代から続いた材木機械の会社の経営に失敗し、会社を手放し、岩崎さんのマネジメントのみを収入源とするようになりました(妹の良美さんも歌手になっていたが、この年休業)。

そのため宏美さんが結婚しようとすると「歌が歌えなくなる」と反対したそうです。

宏美さんが結婚して最初の旦那と転勤でドイツに行っている間に、「スリー・ジー」はもう後がない状況になり、父は無断で宏美さんの仕事を受けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の旦那は宏美さんと結婚後は仕事を控えると約束していたので、激怒したと言われますが、宏美さんは家族の生活のために自由に歌いたいという思いから、父のマネジメントを受け入れ、結果的には「夫との性格の不一致」を理由に離婚するにいたりました。

実家の両親のために自分の幸福を犠牲にした宏美さんでしたが、結果はさらに悪化しました。

2002年に、父が愛人関係にあった女性と結婚するために、母と離婚しました。

母は良美さんと実家を出ていきましたが、宏美さんは父のことを思って実家に残りました。

2003年に再婚した父は、年齢のこともあり、会社の代表権を宏美さんに譲りました。

自分自身の離婚および最愛の子供との別離、両親の離婚、会社経営の難しさ、こういった問題に直面した宏美さんを支えたのが2001年から交際していた今拓哉さんでした。

父は今さんに婿養子になることを求めたが、今さんは拒否したそうです。

そうすると父は宏美さんとの結婚に反対し始めました。

しかし、宏美さんは今度は父の言うことを聞かず、2009年4月に結婚声明を発表しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに2009年12月、今さんがマネジメント会社を作り、宏美さんはこちらに移籍しました。

この際父親は前の会社の役員辞任という形をとりましたが、この手続きが正当かどうかをめぐって父親から裁判が起こされました(以上『女性セブン』2012年2月2日号参照)。

この裁判がどのような結末を迎えたのか調べてみましたが、わかりませんでした。

しかし、2016年4月4日更新の岩崎宏美さんのオフィシャルFacebookによると、同年3月にお父さんは亡くなられました

桜の花が咲く3月30日父親岩崎兼三が旅立ちました

そして桜満開の中

静かに私たち姉妹は、父とお別れをすることができました。

(中略)

パパ88年間

本当におつかれさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

この文面を読む限り、岩崎さん姉妹は最後はお父さんと和解したと思われます。

そこには今さんのいろいろな配慮があったことが察せられます。

したがって宏美さんと今さんがますます強い絆で結ばれていることは明らかです。

3.子供をめぐる悲しみと喜び

 

 

 

 

 

 

 

 

上で述べたように岩崎さんは最初の結婚で二人の男の子、長男・益田元気さんと次男・益田勇気さんを生みました。

しかし、1995年離婚の際には親権は父親、養育権は母親が持つという条件が持ち出され、その条件の上で離婚が成立しました。

それもつかの間翌1996年前夫が再婚すると、再婚した妻が二人の子供と養子縁組することによって養育権を獲得し、岩崎さんは養育権も奪われ、2カ月に1度の面会権しか認められなくなりました。

そのうえ前夫はメキシコ勤務となり家族ごと移住したため岩崎さんは子供に会えなくなって、寂しさのあまり心療内科に通うようになったり、衝動的に自殺する恐れを自ら感じたりしながらなんとか生きながらえることができました。

上の写真は「岩﨑宏美 子供 画像」で検索して出てきたものです。

この写真はいつか面会権を行使して子供さんに会った時の写真と思われます。

一番左の男性は、岩崎さんのお父さんと思われます。

(1)悲しみを乗り越えて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最愛の子供たちに自由に会えない悲しみと苦しみにおしひしがれそうになった岩崎宏美さんでしたが、今拓哉さんの支えを得て、子供たちに自由に会える日を待ちわびて音楽活動をつづけました。

2008年秋には初めて自分のコンサートに子供たちを誘いました。

客席の二人の姿を見て、岩崎さんは「夢ってかなうものなのだ」と幸せをかみしめて歌ったと言われます。

(2)成年に達して自由面会

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年のTBSの番組では、岩崎さんは「子供が成年に達し自由に会えるようになり、私のコンサートイベントにも来てくれた」と語っています。

右がお兄さんの元気さん、左が弟さんの勇気さんですかね。

二人ともしっかりした若者のようですね。

特に弟の勇気さんはお母さんのところによく出入りしているみたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩﨑さんの後ろが今さんで、右端が勇気さんですね。

真ん中の高齢女性は岩崎さんのお母さんと思われます。

岩崎さん、辛い時間を乗り越えて家族のぬくもりを取り戻せてよかったですね。

(3)二人の現在の社会的位置は不明

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩﨑宏美さんのお二人のお子さんが現在どのような社会的位置にあるのか確定的な情報はありません

二人とも現在20代の後半になっているので、大学は卒業されていると思われます。

ではどの大学を卒業されたのかということに関しては、慶應だ、いや早稲田だという情報がありますが、確かめようがありません。勇気さんについては、新潟の学校に入学したことに対して岩崎さんがお祝いのメッセージを送ったという情報がありますが、これも真偽のほどは不明です。

また二人とも年齢的に社会人になっていることが想定されますが、勤務先も分かりません。

さらに二人とも結婚していても何らおかしくないと思われますが、こちらの情報もありません。

二人とも一般人ですので、これ以上詮索はしないほうがよろしいかもしれません。

ただお二人ともお母さんが二人から切り離されて悲痛な思いをして過ごされた時期があったことだけは忘れないでいただきたいと思います。

4.まとめ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆岩崎宏美さんは2001年頃バセドー病にかかった後、橋本病を発症したようです。

橋本病になると、甲状腺ホルモンの分泌が低下し、倦怠感、無気力、寒気、便秘、発語難などの症状が出ます。

橋本病は完治するのが難しい病気ですが、ホルモン療法、薬剤療法によって無理しなければ日常生活を送れる程度の健康が維持できるようになります。

岩崎さんは「持病と付き合う」という心構えでいますので、過労状態にならないように注意をしながら音楽活動を続けていただきたいと思います。

 

岩崎宏美さんの現在の旦那は俳優の今拓哉さんです。

 

 

 

 

 

 

岩崎さんと今さんは舞台劇『レ・ミゼラブル』に共演したことが発端となって2001年に交際を始め、2009年に婚姻届けを提出しました。

岩崎さんのほうが10歳年上ですが、岩崎さんの様々な問題を解決するうえで今さんが力となり、二人は固い絆で結ばれています。

 

☆岩崎宏美さんが最初の結婚で出産した二人のお子さん、益田元気さんと益田勇気さんは既に成人になって宏美さんと自由な行き来をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宏美さんのコンサートに来たり、一緒に旅行に行ったりもしているようです。

しかし、二人の出身大学、勤務先、既婚か未婚かなどの情報はネット上では一切不明です。

それはそれでよいでしょう。

 

最後に

二人のお子さんに会えなくて苦しみ、お父さんのわがままによって進む道を曲げられて悲しんだ岩崎宏美さん、もう自由にお子さんに会えるし、お父さんに縛られることもなくなったので、思う存分好きな音楽活動を展開してください。

橋本病だけは気がかりですが、医師と相談のうえ、最善の処置を施し、豊かで伸びやかな歌声を世界に響かせていただくことを願ってやみません。